マルチチュードとバリトゥード・・・。

stargherking2005-12-25

少し前の事になるのですが書店で青土社の『現代思想』11月号『マルチチュード」』特集というのが目に留まりました・・・。
マルチチュード【Multitude】』とは群衆=多数性、多数者などと訳される、哲学・政治学の概念(複数の革命主体であり変革主体)。また近年イタリアの思想家・革命家【アントニオ・ネグリ】が新たなる歴史の「変革主体」として位置づけ、【ネグリ】と【マイケル・ハート】による『<帝国>』という著書、及び彼らの諸著作では、「主体の多様性」、「絶対的に差異化された集合体」、「欲望を表現し、世界を変えようとする装置を体現するもの」等の意味を含む言葉・・・という事らしいのですが理解出来ませんorz・・・。

もう一つ少し前に書店で目に留まったのがワニマガジン社の『紙のプロレス』No.92(11月号)の「【ダニー・ホッジ】のインタビュー」です。「本当のシュートとは、お前を殺すか俺が死ぬかと言うことだよ」と言う「鳥人」【ダニー・ホッジ】のシュート(セメント)・ファイトに対する言葉には目からケロロでした(笑)・・・。中学・高校の頃読んでいた「週刊ゴング」の『シューター列伝』というコラムを思い出しました(涙)・・・。現在ではシュート(セメント)という言葉と同じニュアンス(意味合い)の言葉として『バリトゥード(ヴァリトゥード)』という言葉が巷では使われています。『バリトゥード(ヴァリトゥード)』には「何でもあり」という意味があるらしいです・・・。

最近何気にネット・サーフィン(季節的にはネット・スノーボードですねw)していて見付けたのが『プロレスファンという装置』(青弓社)という書籍です(2005年8月発刊)。文化人類学民俗学等を専攻する研究者達、序章:井上章一(文筆家、歴史家・人文学者)、第1章:山野井健五、第2章:樋口裕二(「頭がいい人、悪い人の話し方」の著者)、第3章:東谷護(音楽社会史、文化社会学、文化研究)、第4章:亀井好恵民俗学)、第5章:岩佐敦子、第6章:小野原教子(ファッションの記号論を研究)、第7章:岡村正史(エッセイスト、プロレス文化研究会)、終章:小田亮文化人類学)という9人による「プロレス文化(プロレス・ファン)研究論」という事です・・・。「プロレス文化(プロレス・ファン)研究論」の執筆陣(9人)の内プロレスファンではない執筆者は第3章を担当した東谷護と、終章を担当した小田亮の2人だけのようですが・・・。

マルチチュード』と『バリトゥード』を考察するために「格ブロ(格闘技BLOG)」でも始めようかなと思っています(笑)・・・。